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風に立つ愛子さん

TRAILER

INTRODUCTION

「あの津波がわたしに幸せを運んでくれたの―」
避難所の記憶を胸に、
その後を生きた愛子さん8年間の記録
「あの津波が
わたしに幸せを運んでくれたの―」
避難所の記憶を胸に、
その後を生きた愛子さん8年間の記録

2011年の東日本大震災で石巻の家を津波に流された村上愛子さん、当時69歳。その出来事は天涯孤独に生きていた愛子さんの人生を大きく変えました。避難所での集団生活は、今まで知り合うこともなかった近隣の方と寝食を共にし、皆と心のつながるかけがえのない時間でした。その後、仮設住宅で7年を過ごし復興住宅へと移っていく―この映画は、震災後の8年間、愛子さんを見つめ続けたその記録です。津波を「津波様」と呼び、震災が幸せを運んでくれたと言う愛子さん。被災者とひとくくりにできない、ひとつの人生がここに映っています。

東日本大震災から14年。能登半島地震から1年。
高齢化が進む日本で、
今こそ被災について思いを巡らす。
東日本大震災から14年。
能登半島地震から1年。
高齢化が進む日本で、
今こそ被災について思いを巡らす。

監督は、2012年に公開した『石巻市立湊小学校避難所』を制作した藤川佳三。避難所で出会った愛子さんの明るく奔放な性格に魅了された藤川は、それから断続的に石巻に通い愛子さんが亡くなるまでカメラに収めていきました。 高齢者の独り暮らし、それに伴う孤独死の問題は、「おひとりさま」という言葉で、すでに社会問題化しています。身寄りのない高齢者が、住む家を失い避難所で集団生活を送ったり、仮設住宅や復興住宅で、新しい近隣との付き合いの中で暮らしていくことは、いかに孤独で心身に負担を与えるのか。本作を観ることで、改めて被災とその後の生活について思いを巡らすきっかけになればと願います。

DIRECTOR

私たちは、今、いつ被災するか分からない世界に住んでいる。

私たちは、今、
いつ被災するか分からない世界に住んでいる。

2011年の東日本大震災の後、私は石巻の避難所で大きな縁ができた。
村上愛子さん(当時69歳)に出会った。そこから8年間のお付き合いになった。
愛子さんは、震災前からひとり暮らしだったが、
避難所になった小学校で同じく避難した人々と家族のような関係を築いた。
しかし仮設住宅、復興住宅へと住まいが移り変わることによって、
徐々に人との関わりが減っていった。
一人暮らしの高齢者の苦悩。
そして何年経っても、津波の傷が癒えることのない虚しさ。
決して愛子さんだけの問題ではない。
多くの方が、感じていることだと思う。震災は、今も続いている。
私は、この映画で心を残したいと思ったのだ。
愛子さんは、ご自身の言葉で津波に遭った人生を語った。
言葉には、おそらく浄化作用がある。
その場にいたその経験をした、その時代にいた人間の生の感情、気持ち、記憶。
当事者にしか分からない智見がある。
今一度、耳を傾けてみてはどうだろう。多くの問いかけがあると私は感じている。

2011年の東日本大震災の後、
私は石巻の避難所で大きな縁ができた。
村上愛子さん(当時69歳)に出会った。
そこから8年間のお付き合いになった。
愛子さんは、震災前からひとり暮らしだったが、
避難所になった小学校で同じく避難した人々と
家族のような関係を築いた。
しかし仮設住宅、復興住宅へと
住まいが移り変わることによって、
徐々に人との関わりが減っていった。
一人暮らしの高齢者の苦悩。
そして何年経っても、
津波の傷が癒えることのない虚しさ。
決して愛子さんだけの問題ではない。
多くの方が、感じていることだと思う。
震災は、今も続いている。
私は、この映画で心を残したいと思ったのだ。
愛子さんは、
ご自身の言葉で津波に遭った人生を語った。
言葉には、おそらく浄化作用がある。
その場にいたその経験をした、その時代にいた
人間の生の感情、気持ち、記憶。
当事者にしか分からない智見がある。
今一度、耳を傾けてみてはどうだろう。
多くの問いかけがあると私は感じている。

私たちは、震災の後をどのように生きていくのか。

私たちは、震災の後をどのように生きていくのか。

監督|藤川佳三〈ふじかわけいぞう〉

1968年 香川県生まれ。中央大学社会学科卒。映画を志し映像業界に入る。以後劇映画、テレビの仕事に従事する。2001年自主企画で「STILL LIFE」を製作。PFFで入選。2005年離婚した妻や家族と向き合うセルフドキュメンタリー映画「サオヤの月」を発表(劇場公開)。2012年東日本大震災で宮城県石巻市の避難所に半年住み込み制作した「石巻市立湊小学校避難所」を発表。全国で公開された。また台湾ドキュメンタリー映画祭、ドバイ映画祭に招待された。映画「菊とギロチン」(2018年瀬々敬久監督作品)プロデューサー。著書に「石巻市立湊小学校避難所」(竹書房新書)。現在、退去問題で揺れる京都大学吉田寮のドキュメンタリー映画を製作中。

COMMENT

ずっと独り暮らしだった愛子さんは、避難所で家族を得た様にワイワイと暮らす。仮設住宅が当たっても外に出て人と笑って話す。更に復興住宅が当たると、震災を生き延びた強かりし年寄りはいとも簡単に壊されていく。人の為の住宅で。「津波で凍っていた心が溶け出したから涙ばかり出る。」と泣いた愛子さん。「私が生きてたって事わかってくれる人いるよね!」と喜んだ愛子さん。たった一人だという孤独は、牙なのだとわかった。

山崎ハコ|シンガーソングライター・俳優

愛子さん、あなたの生きた道のりは、過去の「思い出」になる前に、今、私たちに届きましたよ。

安田菜津紀|メディアNPO Dialogue for People 副代表/フォトジャーナリスト

この作品には「愛」が溢れている。
愛子さんは歩んできた人生の記録を藤川監督に託した。藤川監督はそれを受け止めカメラを回し続けた。それは二人の「愛」の記録として映画となった。
そして、この作品を観て気づく。
孤独や絶望が続くことはないことを。「愛」は私にも、あなたにも出会う機会があることを。

寺田和弘|『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』監督

高齢女性で一人暮らし、しかも過酷な災害経験を持つ市井の人の抱える様々な葛藤。そして生き抜くために模索し獲得していく深淵なる人生哲学。作品は藤川監督が愛子さんの感性に呼応する様子が綴られていき、こちらも彼女の痛み喜びを共有していくような感覚に包まれる。見終わった後は監督の「誰一人も取り残さない社会への希求」が静かなメッセージとなって心の底にじんわり広がっていった。

炎上寺ルイコ|インディーズ演歌歌手

愛子さんは稀有な語り部だ。自分の人生を物語のように饒舌に語る。楽しい思い出も辛い体験も、物語として受け止めていくことで彼女は生き抜いてきたのだろう。あの震災さえも「津波様」と言って、人生の物語の中で必然化してしまう。そして愛子さんは藤川監督と出会う。愛子さんが自分に向けて綴ってきた物語は、藤川監督のカメラを通して私たちへ繋がる確かな現実となった。ドキュメンタリーが背負うものを、この映画は鮮やかに提示している。

村上浩康|映画監督(『あなたのおみとり』)

1人の名もなき石巻の女。その個性は稀有な存在であり、妖精であり、ファンタジーだ。母を看取り愛情溢れた他者への関わりも又、彼女の特性であり魅力だ。最後まで関わってくれてありがたい。全てが震災のもたらした恵みと学びの賜物で、あの日からずっと探していたものが、また収穫でき、失っただけじゃない、私の宝物が追加された。

工藤弘子|『石巻市立湊小学校避難所』出演/ケアマネージャー

前作『石巻市立湊小学校避難所』で、藤川監督と愛子さんは偶然出会った。あふれる想い出を、途切れることなく話す愛子さん。孤独な魂は解放され、幼女のような瑞々しさが残った。強く思う。二人の出会いは、必然だった。3.11から14年。あの津波が運んできた、忘れ物のような映画。見つけてくれてありがとう。

土屋トカチ|映画監督

CREDIT

出演|村上愛子、石川ゆきな、湊小学校避難所の人々、石巻市仮設住宅の人々

監督・撮影|藤川佳三 編集|今井俊裕
実景撮影|田中創 整音|黄永昌 音楽|植田智道
仕上げ|田巻源太 協力プロデューサー|藤田功一
製作|IN&OUT 配給|ブライトホース・フィルム
宣伝|大久保渉 デザイン|中野香 予告編制作|北川帯寛
特別協力:石巻市立湊小学校

〈文化庁「ARTS for the future!2」補助対象事業〉
〈座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルコンペティション入選作〉

2024年|79分|16:9|ステレオ|DCP

出演|村上愛子、石川ゆきな、
湊小学校避難所の人々、石巻市仮設住宅の人々

監督・撮影|藤川佳三 編集|今井俊裕
実景撮影|田中創 整音|黄永昌
音楽|植田智道 仕上げ|田巻源太
協力プロデューサー|藤田功一
製作|IN&OUT
配給|ブライトホース・フィルム
宣伝|大久保渉 デザイン|中野香
予告編制作|北川帯寛
特別協力:石巻市立湊小学校

〈文化庁「ARTS for the future!2」
補助対象事業〉

〈座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル
コンペティション入選作〉

2024年|79分|16:9|ステレオ|DCP

THEATER

都市 劇場名 公開日
関東
中野区 ポレポレ東中野 2025/2/22(土)-